スーパーマンはユダヤ人?

 いま、21世紀のわたしたちが「アメリカ的なもの」として消費しているものについて、たちどまって、それがどこからきたのかを考えてみれば、1880年代-1920年代に、ポグロムで土地を追われてアメリカに移民した東欧ユダヤ人たち、アシュケナージの系譜に出会う。たとえば、ジーパンを履いて、ロックンロールを聞いて、テレビや映画を見たりする、ありふれた生活でさえ、20世紀のはじめにユダヤ人の移民たちがもたらした文化の圏内であることに自覚的であるひとがどれだけいるだろうか。

 ジーンズの生みの親、リーヴァイ・ストラウスはドイツ系のユダヤ人であるし、ボブ・ディランだって、出生名はロバート・アレン・ジマーマン、ロシアからの移民の子孫だ。映画産業にいたっては、20世紀フォックス、MGM、ワーナー、ユニバーサル、パラマウントの創立者はみんなユダヤ人で、CBS、NBC、ABCの三大ネットワークを創設したのもユダヤ人だった。サンドイッチを食べるのを広めたネイサンズだってユダヤ人であるし、ベーグルもユダヤ人の食べものだ。ハーゲンダッツだってユダヤ人移民が考えた。下着だって、バービー人形だってと、私たちの生活のまわりにありふれたものに、ユダヤ人が関わっているものはたくさんありすぎて、ユダヤ人が世界を操作してるのだと陰謀論を書きたくなるひとがでるほど。

 では、いったい、なぜ、これほどユダヤ人は大衆文化に関係しているのだろうか?このことについて、唯一、日本で考えたのが、堀邦維の『ユダヤ人と大衆文化』(2014)という本である。

ユダヤ人と大衆文化 (ゆまに学芸選書ULULA)

ユダヤ人と大衆文化 (ゆまに学芸選書ULULA)

 

  そこには、移民であるがために差別され、周縁的なエンターテイメント産業にしか就けなかったが、元来、ユダヤ人は土地所有が禁じられ、商工業に従事し商才に長けていたので成功し、消費社会の巨大産業を握ったという背景がある。

 ただ、それだけではない。根本にあるのはディアスポラユダヤ人の持つ普遍的なものを目指す精神である。なぜ、これほど、身のまわりにあるものにユダヤ人が関わっているにも関わらず、私たちはそのことに気がづかなかったのか。気がづかなかったのではない。移民であるユダヤ人は、アメリカの社会に同化するために、改名し、その出自を隠し、ユダヤ的なものではなく、普遍的なものを目指していたから、気がつけなかったのである。

 かつて、山口昌男は『本の神話学』の一章「ユダヤ人の知的熱情」の中で、ディアスポラユダヤ人たちの、世界を「サイン(記号)」として見る知について書いた。内容より、形式を重んじたフォルマリストたち。「ユダヤ的なものに根差す抽象的なものへの好愛」。ヤーコブソンや、レヴィ・ストロースといった記号論、構造の学はユダヤ人の知から誕生し、ユダヤ人は「対象に対して心理的感情注入作業を停止して、対象をサインに転化し、サインを、それを構成する要素間の関係において一元的に捉える思惟に長じている」とした。記号や、抽象化は、すなわち、根無し草であるディアスポラユダヤ人の思考法なのだ。

 スーパーマンや、バッドマン、XーMEN、スパイダーマンといった、アメリカン・コミックのヒーローたち。「アメリカ的なもの」として見られる、彼らの生みの親であるジョー・シャスターや、ジェリー・シーゲルボブ・ケイン、ビル・フィンガー、ジャック・カービー、スターン・リーたちは、みんなユダヤ人であった。スーパーヒーローの「変身」は、まさに記号としてアメリカ人になった移民であるユダヤ人の「変身」なのである。

 20世紀以降の「アメリカ的なもの」が、いかにユダヤ人の移民の文化に出自を持つとものであると知った時、「アメリカ的なもの」が、いったい何を指すのか、口ごもる。 

 

 

 

Disguised as Clark Kent: Jews, Comics, and the Creation of the Superhero

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