蔵書一万冊

「一万三千冊(そのうち和本七千余冊)の蔵書を、いちいち運び出す時間はむろんないので、私は思い切って二階の窓から裏庭に投げ下した。(中略)テニスコートの中央に堆く積みあげられた蔵書の大きな山から、もうもうと煙があがり、下のほうからははげしい火勢が噴出していたのが見える。それはもう、近寄ることを峻拒する高熱をばら散きながら燃え下がっていた。ソ連兵たちは、投下した本を片っ端からこの火の中に投げ込んでいたのだ。」北小路健『古文書の面白さ』P.88-89

敗戦の満州で、満州出版文化研究所に勤めていた国文学者北小路健ソ連兵に蔵書一万三千冊を焼かれた。その中には稀覯本として学界に知られていた古写本や古版本もあったという。すべて灰に帰した。その後、北小路は豚肉を売って生活をしのぐ。北小路健の自伝『古文書の面白さ』は、蔵書1万数千冊を焼き捨てられた壮絶な国文学者の自伝である。京都ノートルダム女子大学の資料展示図録『終戦時新京蔵書のゆくえ』は、こうした敗戦後の満州、資料保存の問題を扱った。

 

古文書の面白さ (新潮選書)

古文書の面白さ (新潮選書)

 

 

スーパーマンはユダヤ人?

 いま、21世紀のわたしたちが「アメリカ的なもの」として消費しているものについて、たちどまって、それがどこからきたのかを考えてみれば、1880年代-1920年代に、ポグロムで土地を追われてアメリカに移民した東欧ユダヤ人たち、アシュケナージの系譜に出会う。たとえば、ジーパンを履いて、ロックンロールを聞いて、テレビや映画を見たりする、ありふれた生活でさえ、20世紀のはじめにユダヤ人の移民たちがもたらした文化の圏内であることに自覚的であるひとがどれだけいるだろうか。

 ジーンズの生みの親、リーヴァイ・ストラウスはドイツ系のユダヤ人であるし、ボブ・ディランだって、出生名はロバート・アレン・ジマーマン、ロシアからの移民の子孫だ。映画産業にいたっては、20世紀フォックス、MGM、ワーナー、ユニバーサル、パラマウントの創立者はみんなユダヤ人で、CBS、NBC、ABCの三大ネットワークを創設したのもユダヤ人だった。サンドイッチを食べるのを広めたネイサンズだってユダヤ人であるし、ベーグルもユダヤ人の食べものだ。ハーゲンダッツだってユダヤ人移民が考えた。下着だって、バービー人形だってと、私たちの生活のまわりにありふれたものに、ユダヤ人が関わっているものはたくさんありすぎて、ユダヤ人が世界を操作してるのだと陰謀論を書きたくなるひとがでるほど。

 では、いったい、なぜ、これほどユダヤ人は大衆文化に関係しているのだろうか?このことについて、唯一、日本で考えたのが、堀邦維の『ユダヤ人と大衆文化』(2014)という本である。

ユダヤ人と大衆文化 (ゆまに学芸選書ULULA)

ユダヤ人と大衆文化 (ゆまに学芸選書ULULA)

 

  そこには、移民であるがために差別され、周縁的なエンターテイメント産業にしか就けなかったが、元来、ユダヤ人は土地所有が禁じられ、商工業に従事し商才に長けていたので成功し、消費社会の巨大産業を握ったという背景がある。

 ただ、それだけではない。根本にあるのはディアスポラユダヤ人の持つ普遍的なものを目指す精神である。なぜ、これほど、身のまわりにあるものにユダヤ人が関わっているにも関わらず、私たちはそのことに気がづかなかったのか。気がづかなかったのではない。移民であるユダヤ人は、アメリカの社会に同化するために、改名し、その出自を隠し、ユダヤ的なものではなく、普遍的なものを目指していたから、気がつけなかったのである。

 かつて、山口昌男は『本の神話学』の一章「ユダヤ人の知的熱情」の中で、ディアスポラユダヤ人たちの、世界を「サイン(記号)」として見る知について書いた。内容より、形式を重んじたフォルマリストたち。「ユダヤ的なものに根差す抽象的なものへの好愛」。ヤーコブソンや、レヴィ・ストロースといった記号論、構造の学はユダヤ人の知から誕生し、ユダヤ人は「対象に対して心理的感情注入作業を停止して、対象をサインに転化し、サインを、それを構成する要素間の関係において一元的に捉える思惟に長じている」とした。記号や、抽象化は、すなわち、根無し草であるディアスポラユダヤ人の思考法なのだ。

 スーパーマンや、バッドマン、XーMEN、スパイダーマンといった、アメリカン・コミックのヒーローたち。「アメリカ的なもの」として見られる、彼らの生みの親であるジョー・シャスターや、ジェリー・シーゲルボブ・ケイン、ビル・フィンガー、ジャック・カービー、スターン・リーたちは、みんなユダヤ人であった。スーパーヒーローの「変身」は、まさに記号としてアメリカ人になった移民であるユダヤ人の「変身」なのである。

 20世紀以降の「アメリカ的なもの」が、いかにユダヤ人の移民の文化に出自を持つとものであると知った時、「アメリカ的なもの」が、いったい何を指すのか、口ごもる。 

 

 

 

Disguised as Clark Kent: Jews, Comics, and the Creation of the Superhero

Disguised as Clark Kent: Jews, Comics, and the Creation of the Superhero

 

 

  

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神経生理学的読書

1935年に三笠書房の「ヴレーミヤ」に掲載された「初めてドストエフスキイを読んだ頃」という回想で萩原朔太郎は読書について「神経生理学的」に読むと語った。 

ポオも、ニイチェも、ショーペンハウエルも、僕はすべて我流の仕方で、神經生理學的に讀むのであり、さうでない限り、僕に讀書の興味はないのであるが、ドストイェフスキイの場合は、僕との氣質的類似の機縁で、特にそれがはつきりして居た。  

 朔太郎が「神経生理学的」と自身の読書論を形容したのは、意識的なものである。朔太郎は個人雑誌を「生理」と名付け、また、「詩の生理学を呼ぶ」という詩論を書き残した。

近代詩は今やその「肉体」と「生理学」を無くしてしまつた。近代詩は、今や正に心霊学に接近して、虚妄の幽霊にならうとしてためらつて居る。近代詩は、もはや人間の生きた呼吸ではない。それは抽象観念の形而上で、黄昏の闇に漂泊してゐる妄像である。即ちそれは「心理学」であつて、ポエヂイ(人間的感情の実体性)ではないところの、別の文学に変つてしまつた。
 近代詩の歴史は此処に終つた。僕等はその失はれた肉体のイデアを求めて、再度歴史を回帰しなければならないのだ。必要なものは「感情」なのだ。精神分析学への探求ではなくして、呼吸し、生活し、肉体が表現するところの生の感情。怒りや、悲しみや、愁ひや、沈痛や、悦ばしさやの、現実のナマナマとした感情なのだ。僕等は心理学に鬱屈して、今や生理学を呼び求めて居る。詩を再度肉体に復活させよ。そしてあの逞ましい野性のポエヂイ、即ち純正抒情詩のリリシズムを、新しく建設せよと言ふのである。

 朔太郎が求めた詩の「生理」とは何なのだろうか。心理学的な探求を虚妄であると言い、詩に肉感を探った。ポエヂイを「人間的感情の実体性」と言うのだ。感情の実体性。それは機械論と生気論、唯物論唯名論の間に響く「オルフェウスの声」の詩的思考の世界か。

 

 

色彩療法(Chromotherapy)と夏目漱石の『それから』

色彩療法(Chromotherapy)が夏目漱石の『それから』(1910)のテーマであると書いたら、驚かれるだろうか。しかし、何も驚くベきことはない(ニル・アドミラリ)。漱石がそう書いているのだから。

それから十一時過まで代助は読書していた。が不図ダヌンチオと云う人が、自分のいえの部屋を、青色赤色に分って装飾していると云う話を思い出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、この二色ふたいろに外ならんと云う点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、すなわち音楽室とか書斎とか云うものは、なるべくく塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、すべて精神の安静を要する所はに近い色で飾り付をする。と云うのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。

色彩療法は、漱石の時代に流行していた代替療法だった。この一節の心理学者の説の背景について、案内役を務めてくれるのが加藤有希子の『新印象派プラグマティズム―労働・衛星・医療』(2012)である。魅力的な目次はこちら

新印象派のプラグマティズム―労働・衛生・医療

新印象派のプラグマティズム―労働・衛生・医療

 

 同署は著者のデューク大学の博士論文として提出された。原題はColor, Hygiene, and Body Politics: French Neo-Impressionist Theories of Vision and Volition, 1870-1905。夏目漱石について扱った本ではない。新印象派について扱った本である。それにも関わらず、夏目漱石の『それから』を読むのにあたって、漱石について書かれたもの以上の手引きになる。なぜなら夏目漱石(1867-1916)が知っていた同時代の色彩療法について扱っているからだ。赤が興奮、青が安静の色であるという色彩と精神の呼応。これは19世紀末の色彩療法の言説であった。著者によると、精神の不安定を解消する手段として、1870年代から欧米で色彩療法が浸透したという。色彩療法の初期には赤と青の二色が精神の均衡を保つための重要な組み合わせとして推奨された。アメリカの色彩学者セス・パンコースト、フランスの心理学者シャルル・フェレ、ドイツの色彩学者オズボーン・イーヴスらが、赤が神経の興奮を高め、青は神経の興奮を静め、その両者のバランスをとることで神経の均衡が保てると主張していた。相対する二つ以上の力のバランスが取れた「均衡」(équilibre)が理想の状態とされた。

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著者は、赤と青をめぐったこうした色彩療法の周辺に新印象派の画家たちがおり、その創作が、単に美を追求したものというよりも、無政府主義とも関係を持ち、色彩療法的な配色を用いてwell-beingを目指した、芸術と生活の分水嶺にあったことを明かした。それは高踏遊民から世俗へ向かった『それから』の代助の軌跡と重なるものでもあるだろう。

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しかし、『それから』の主人公、代助が、最後に辿りついた境地は、こうした色彩療法の赤と青の「均衡」とは隔絶したものだった。青木繁の「海の幸」のように「沈んだ落ち着いた情調」に居ることを代助は望んでいたが、裏腹に、赤の狂気に陥る。

 たちま赤い郵便筒ゆうびんづつが眼に付いた。するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘こうもりがさを四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸おっかけて来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車とれ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋たばこや暖簾のれん赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるり※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)ほのおの息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗ってこうと決心した。 (夏目漱石 それから

 

人形劇と大政翼賛会

大政翼賛会の文化宣伝部は人形劇を国威発揚の道具として用いていた。1943年の大政翼賛会宣伝部の刊行物には「人形劇叢書」というシリーズがあり、『人形劇のすすめ』『人形劇脚本集』、『指つかい人形劇』、『糸あやつり人形劇』といった書目がある。指人形にまで国家の思想教育は及んだ。戦時下の人形劇については加藤暁子『日本の人形劇』(2007)で扱われているほか、指人形のくだりは井上春樹『日本ロボット戦争期1939~1945』(2007)でも触れられている。昨年には滋賀県大津市にある人形劇の図書館で館長潟見英明によって「戦時下の人形劇」という展示が開催された。京都新聞社の「戦時色に染まった人形劇 大津の図書館収集」という記事がその様子を伝えてくれる。大政翼賛会が人形劇に関心を持っていたことは注意を引く題材だろう。それ以上に興味深いのはこの運動の中心人物であった小沢愛圀の存在だ。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小沢愛圀 おざわ-よしくに

1887-1978 大正-昭和時代の演劇研究家。
明治20年12月18日生まれ。「時事新報」記者をへて慶応義塾参事,「三田評論」編集長をつとめる。昭和18年「世界各国の人形劇」を刊行。戦後日大講師,奥羽大教授,東京理大講師。人形劇史の研究で知られた。昭和53年6月25日死去。90歳。静岡県出身。慶応義塾卒。 

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.

小沢愛圀は人形劇史について大正時代から研究した数少ない人物である。小沢は三田史学会の草創期より携わり、『史学』に1921年に「人形及び人形芝居に関する研究」、1922年に「影絵の研究及びその資料」を寄稿している。それ以前にも三田評論に演劇、人形芝居に関しての論考がある。

ci.nii.ac.jp

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小沢は1968年の日本近代文学会で「私の見た明治文壇の人々 ―平田禿木戸川秋骨永井荷風釈迢空」という題で講演しており、折口信夫とは1887年生まれで同世代になる。大正の自由な知的風土の中、小沢は英仏独語に通じ、また江戸の演劇への造詣も深かった。丸善の洋書文化で育った世代だ。浄瑠璃からヨーロッパの演劇まで関心を持ち、小沢の論考には東西の文献が引かれ、参考文献は今に至っても人形劇の恰好の案内だ。カエルのキャラクター、ケロヨンで知られた藤沢清治に人形劇を教授したのも慶應の講師であった小沢だった。日本で人形劇の研究の第一人者であった小沢だが、しかし、彼の人形劇史がまとめられたのは、戦時下で大政翼賛会の会員の肩書としての『世界各国の人形劇』と『大東亜共栄圏の人形劇』の2冊のみとなった。広範な知識を持ちながら戦時下にしか、まとまった著作を作りえなかった、人形劇史の立場とは、小沢の研究とはどのようなものであったのだろうか。この2冊は戦時下に似合わないほど美しいつくりだ。後者は2000年に大空社にて復刊された。

A Book of Marionettes

A Book of Marionettes

 

 A book of marionettes : Joseph, Helen (Haiman) : Free Download & Streaming https://archive.org/details/abookmarionette01josegoog

 

新刊美術洋書の情報源

■1 Michael Shamansky書店の新着図書

Michael Shamansky, Bookseller Inc.

ヨーロッパ圏の美術書、展覧会カタログを網羅的に週単位で紹介

■2New Titles Releasing this Week from D.A.P.

New Art, Photo, Architecture and Design Book Releases From ARTBOOK | D.A.P.

アメリカを中心とした美術書、展覧会の新刊リスト

■3慶應義塾大学三田メディアセンターの新着図書・雑誌

慶應義塾図書館|新着図書・雑誌

日単位で更新される新着図書欄には美術、メディア論関連の洋書が並ぶ。

■4丸善新刊洋書案内

新刊洋書ご案内

pro.kinokuniya.co.jp

★★★Art History Publication Initiative

 

 http://www.paul-mellon-centre.ac.uk/publications/recent-forthcoming

□大学出版

University of California Press

The University of Chicago Press | Home

Northwestern University Press 

UNC Press

Home | Harvard University Press

The MIT Press

Princeton University Press Home Page

Welcome | Yale University Press

Duke University Press

Home | Penn Press

https://www.routledge.com/

西洋好事本展覧会図録(1937)

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『西洋好事本展覧会目録』所収、木村毅「好事本展覧会序説」抜粋。

「好事書とは、俗な言葉で云えばゲテモノだ。このゲテモノは概して、智識的にも、経済的にも若干の余裕を生じて来ないと趣味が湧いて来ないらしい。原論の講義の筆記に夢中になっている大学生は、賭博や、珈琲や、キッスの本に興味のを誘発されるカルチュアの余裕があるまい。時代から云ってもそうなので、明治の初年のような草創時代には、概していわゆるタメになる本しか、訳されもしないし、出版もされない。それが今、こんな書物の展覧会が、堂々と催されるようになったのは、それだけ日本の一般文化にも、又経済的にも、ゆとりが生じ、余裕が出来てきた証拠だ。」

1 看板史

Larwood,J.&J.C.Hotten.-The History od Signboards,from the Earliest Times to the Present Day.1868

The History of Signboards

The History of Signboards

 
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